さよならニッポン農業

神門善久:「さよならニッポン農業」、NHK出版生活人新書、'10を読む。本HPの「農業大国日本」では、浅川氏が著書の「日本は世界5位の農業大国」(以下前書と称する)において、日本農業の将来性成長性を説き、伝統的な農産物鎖国制度、補償制度が意欲ある専業農家から所得向上のチャンスを奪っていると指摘したと紹介した。本書は題名もそうだが、帯の推薦文には「・・これは日本社会への警世の書だ。」とあって、現実は悲観的で、このままでは将来展望がほとんど開けないと言っているように思える。最後にこの重篤の病人への処方箋があるようだ。
前書にも専業農家が耕地面積を拡大できない理由として、農地よりも有利な地権活用法がある事に触れていた。本書に紹介されている毎日新聞の「農地漂流」という企画記事は読んだ記憶がある。農地所有者にとっては、専業農家に利用して貰うより商業用地、住宅用地、工場用地、娯楽施設用地あるいは病院用地などへの転用の方が、はるかに高額の所得に繋がる。都会に近い場所ほど農地は虫食い状態に転用が進み、種まき穫り入れ利水中心の農村共同活動が出来なくなり、コミュニティとして崩壊状態に入る。日本のPSEは4.2兆円(あとで%PSEが5割ほどだと出てくる、この数字関係が分からない)で、農業の付加価値額3.0兆円を上回る。政策的に消費者や納税者が付加価値の1.4倍も支援しているのだ。その見返りに農業振興のために、農地転用は厳しく制限されているはずになっている。転用を禁じる代わりに税法上の優遇処置も、4.2兆円の他にちゃんと行われている。しかし内実は優遇処置を受けながらものの見事に転用を果たし、その儲けは支援者に一切還元されない。農地基本台帳の杜撰さという切り口で、本書が実態に迫っている。
昔の農村には庄屋や村役人が共同生活体を取り仕切っていた。彼らはほとんどが在所の地主階級で、個別の事業体としても配下の小作農に睨みを利かせ、コミュニティの利益に反する行動を規制した。敗戦で農地解放による地主解体が行われ、伝統の支配体制が終焉した。でも大農化できず旧来通りに30a程度の田畑が隣接し合う我が国での農業は、1戸独立の事業としては成立しない。代わって農業委員会とJAがコミュニティ運営の中心を担う。前者は公選委員を有するれっきとした行政末端組織であり、後者は事業運営組織である。農家には数々の恩恵をもたらした。結果として先述の通り国民の支援額が農業の付加価値額を大幅に超え、現在では農業所帯の方が勤労者所帯よりも1所帯員の所得で10%近く上回ることとなった。
昔の農協今のJAは摩訶不思議な団体である。農協法上は任意団体で独占団体ではない。だが実態は傘下組合員に全農家を収める強力事業体だ。自民党との政治上の癒着は言うに及ばす、農水省の事実上の行政下請け体でもある。経営難の農協の救済、補助金の分配、利害調整機能の付与などを通じて、農協が自民党の集票組織化した。だがコミュニティの秩序維持にも貢献してきた。高度経済成長期が終わると市場メカニズムが頭をもたげる。農業だけの旧ソ連のような統制体制価格維持体制は通用しなくなる。JAにとってはいずれやってくる自由経済体制に脱皮する好機であったが、旧体制の維持にばかりエネルギーを注ぐ後ろ向き姿勢に終始する。自由競争の排斥だ。輸入品に対しては高関税障壁、消費者に対しては一律減反による価格維持だ。
田中角栄内閣は農家の農地換金姿勢を強めた。公共事業を呼び込んで土地を国に高価で買わす。道路が出来ると各種事業進出が活発になっていっそう土地の売買が盛んになる。一攫千金を目指して政界との癒着はますます進む。農地転用収入が農作物生産額とほぼトントンというのが、ここ10数年の平均である。農地が虫食い状態にならぬように、転用は厳重に農業委員会が監視しているはずだが、ほとんど機能していないことは、年に1万件近い違法転用があることで明らかだ。阿波踊りの日が近づいて来ると思い出す。8年前に私はクルーズ船で小松島港に行き、そこから徳島市に出かけた。道中の景色は悲しかった。田園地帯をまっすぐに走る国道の道路脇だけは、目立てばいいと言うだけの、グロテスクで不釣り合いに大きい看板の店が点在する。こんな風景はもう「美しい」日本のあらゆる場所で見られるようになった。ご「立派」な農地転用だ。JAも農業委員会も農民だけの機関で、国家はおろか地域百年の計も、消費者の視点とか利益も、地権者の私益の前には影が薄かった。
土地持ち非農家が120万戸もある。彼らが農地の1/6以上を所有している。ほとんどが親から相続したが自身は農業をやらぬ都会在住の不在地主である。彼らは農村の協働には加わらず、耕作放棄のままに有利な土地売却の機会到来を待つ。耕作放棄地は平地農業地域でも6%(実質はもっと多いという)という。土地を小作に貸与するときも売却優先の条項を入れる。水稲耕作はことに地力維持のための継続的投資が必要だが、投機前提の土地に借りた方が投資をするはずがない。水稲耕作が集落的協働と水田管理が必要な理由は、連作を可能たらしめ、米品質を保持するのに必要だからだ。欧米の畑作とは趣を異にする。土地利用の無秩序化が伝統の米作りを崩壊させている。農水省の計算では、効率的な本式農業をやれば日本農業のコストは半分に下がり、十分自由競争が可能だという。でも他諸国の生産性がどんどん向上するのに、日本の農家のそれは頭打ちのままだ。
貿易自由化と農業競争力の向上に向けて前向きの施策を行った内閣がある。だが救済しようのない、切り捨てられる零細農家、兼業農家、疑似農家にとっては厳しい内容で不評であった。小泉・阿倍内閣だ。著者はそれ以外は、現在の民主党内閣を含めて、ただただ集票のためだけのばらまき内閣と見ている。戸別所得補償制度はマニフェスト通りなら来年度には1兆円かかる。WHOがOTDS(歪んだ補助金と言う意味、農産物の増産効果を伴う補助金)として排斥しようとする制度に当てはまりそうだという。我が国は貿易立国をうたいながら、農産物だけ国際ルールの指向する方向にそっぽを向くことで、FTA締結を不能にさせ、それが日本経済の根幹を担う産業を不利にさせ、結果として全体がじり貧へじり貧へと追いやられる。民主党は自民党おろし、官僚おろしの視点からだろう、JAはずしを徹底させている。農村の無秩序化はこれで歯止めが全くなくなり、破滅のシナリオに沿って歩くこととなろう。
裁判員制度はこれも小泉内閣により作られた。お上お抱えの裁判官に任せきりであった司法判断に国民が参加することとなった。我が国の受け身型民主主義にとって画期的な出来事であったといえる。農業にも市民参加型民主主義が望まれる。市場メカニズムを働かさねばならぬ。国内に対してさえ鎖国的であったための歪んだ姿の例に、固定資産税と相続税が述べられている。極端な軽税だ。1haを相続したら転用価値は10万円/平方mとして10億円だ。でも農地相続の間は実質相続税ゼロである。それが農地の流通を妨げている一因だ。現生で10億貰った人なら、控除はあるものの半分近くを国庫に納めねばならぬ。
中国が躍進して中産階級以上が増え、我が国の高級食材に関心を示しつつある。この情報は再々マスコミの話題になっている。門戸を開いて、輸出入の正常化を行い、品質のさらなる向上を目指すべきだ。だが、いずれ現在レベルの食材はキャッチアップされる。向上心あふれる専業農家により大きい機会を与える方策が、日本農業の生き残る道である。信じがたいことだが、農地の実際の利用状況は誰も(農水省ですらも)正確に把握できないようになっている。それでは空論が飛び交うだけだ。台帳作りから始めよう。公開の原則が大事だ。著者は私利私欲の暴走農業に絶望しながらも、一縷の望みを託して将来への提言を書いている。

('10/06/23)