伊豆の踊子


何度読んでも引き込まれる小説である。同じノーベル賞作家でも大江健三郎とは大違いである。大江の小説は人を引き込まない。ノーベル賞を取ったとき氏の小説を何とか一編でも読もうと努めたが、半分まで行かずにギブアップした。そう石は文学論で文学とはまず感情に訴えるものがなければならぬと云っていたように思うが、今日的小説には当てはまらぬものらしい。そう石も康成も確実に世に残るであろうが、健三郎はちょっと難しいのではないか。などと勝手を云いながら、昭和の初期の美しい人情に想いを馳せる。
この小説が私に色彩豊かな詩情を伝えるのは作家の文筆力だけの精ではない。むしろ映画の影響の方が大きいかも知れぬ。私が知っているだけでも五回は映画化された。それも日本映画全盛期の代表的監督と代表的俳優によってであった。その中でもっとも私がひかれるのは野村芳太郎監督美空ひばり主演の作品である。初代の田中絹代版は無声映画だった。これも良かったが、ちょっと清純すぎた。吉永小百合版も大変な力作で、天然色フィルムだった。温泉町の実際の雰囲気と言えばこちらが上だろう。でも人物が近代化してしまって、皆表情豊かになりすぎていた。喜怒哀楽を顔に出さずに雰囲気で出すのに野村監督は成功していた。能面のように感情を表さぬのを慎みと称して尊ばれた時代だったから、又そんな親たちを見て育ったから、私にはひばりの演技がもっとも優れていると映るのかもしれぬ。
上記の三作はビデオになっていていつでも見れる。残りの二作には手が届かぬ。(もう一作あるのを後で知った。その計三作とは鰐淵晴子、内藤洋子、山口百恵の主演作である。その後百恵のはTVで見る機会があった。('97/08/07))見る手段があるようだったら教えて下さい。アメリカやフランスには映画フィルムを保存する公的機関があって、保管だけでなく退色や傷の補修回復作業までやっている、つまり文化事業としてやっていると聞く。わが国にもあると知ったのは、新聞の小さな記事からであった。数年以上前だが、その保存室から出火してフィルムをパーにしたと言う記事で、更に焼失分の内、外国映画分は各国の保存機関から、直ちに補充されると言う記事だったように覚える。その出火原因がふるっていて、予算不足のため夏場なのに保存室の冷房を切ったら、フィルムが自然発火したとあった。ニトロセルローズのフィルムだったのだろう。それにしてもである。本業がフィルム保管の機関が冷房を切って燃やすとは、どんな役人が詰めているのだろうとブン殴ってやりたい気持ちであった。だから今でも覚えている。
羅生門も始めは批評家たちに散々にコキ下ろされたそうである。あんなにいい映画をと死んだ父が言っていたのを思い出す。ともかく西洋基準の批評家たちの言う事は宛にせず自分の基準で考える事だと教えられた。もう映画の盛期は過ぎたが、せめて今までの作品だけでも文化遺産として大切にしたい。

('95/06/03)