宇都宮日帰り紀行U
- 前日と同じく正午に宇都宮駅に到着し、餃子小町でランチを食って観光に出た。前日とは打って変わって晴天であった。
- 駅前のバスターミナルから馬場町まで乗る。そこからは歩く。この町には昔を偲ばせる町名が残っている。一つ前のバス停は大工町と言った。市役所前を曲がれば宇都宮城址公園である。江戸中期の宇都宮城本丸の一部(1/3以下)を復元(平成19年)して公園にしてある。戊辰戦役で、旧幕府軍に占領されたとき、二の丸に新政府軍側の藩兵が火を放ち城内の建造物はほとんど焼け落ちた。さらに、進行してきた新政府軍との合戦で街中も焼けたという。土塁に小さな櫓が2基見える。将軍の日光参詣時の休憩用としての御成御殿が本丸にあった。本多正純の釣天井事件は史実でないとどの資料にも強調してあった。正純の出羽流配に関して流れた噂だそうだ。当時の地図を見ると藩主は本丸に住んではいなかった。滅多にない将軍の参詣のためだけに、本丸をいつも空けていたのであろうか。将軍の来駕に本丸正面の出入口清水門を用いた。コの字型の石垣に囲まれたどこでも見られる構造だったようだが、再建はされていない。天守は元から無かった。古図では櫓の基礎は石垣だが、再建のそれはコンクリートのようだった。だからか、日本の城にしては何とも安普請のお城という印象を拭えない。年輩のボランティアが、土塁内部のものしり館に詰めていて、親切に案内してくれた。城に渡り鳥のジョウビタキの雌が来ていた。特徴は腹の茶色と羽毛根本付近の白い紋である。羽毛全体は黒色で、頭部顔面も黒だ。私の住まい付近には見かけない小鳥である。
- 二荒山神社を古文書では宇都宮明神と記している。城の真北に位置し双方を結ぶ線の一部に小川があり、赤い橋が架かっていた。屋根付きの橋まである。お宮にはよくある風景で、最近では弥彦神社(本HPの「新潟観光}」)で見た。二荒山神社の鳥居に近づくと小さなお社がある。ここら一帯は昔は二荒山神社の境内であったのだろうか。お城の三の丸の端はお宮と本丸を結ぶ線の中間ぐらいだったようだ。駅には徒歩で向かった。半時間ほどであった。次の目的地、飛山城址は鬼怒川沿いの郊外だ。1-2時間に1本というJRバスが頼りだ。約30分。途中に宇都宮大、別キャンパスの宇都宮工学部付近を通る。構内にはぎっしりと建造物が建て込んでいる。鬼怒川を渡り、408号線に入るともう田園風景。バスストップ間の距離は長くなって料金も上がった。駅から550円であった。下竹下で下車。
- 10分以上歩いて、とびやま歴史体験館に入る。パンフレット「飛山城址」、「宇都宮城のあゆみ」の2冊各200円を買う。ここで飛山城が芳賀氏の居城だと知る。下野国芳賀郡の芳賀を姓としているのだから、中世以来の土着の名家だったのだろう。芳賀氏は一応は宇キ宮氏の重臣だったが、独立性が高く、利害関係が崩れると他の群雄と組んで反旗を翻すこともあった。戦国期ではどの家も内紛が絶えず、それを克服した大名だけが生き延びた。秀吉には宇都宮家臣として遇されたが、主家改易で、共に滅んだらしい。飛山城は秀吉の廃城令により廃棄されたという。遠くからもそれと分かる高台に作られた大型の土塁の城で、戦国期の遺構がよく保存されている。広い遺構である。中世の遺構としては埼玉の嵐山で畠山重忠の城館跡(このHPの「武蔵嵐山」)を見ている。あそこも空堀と土塁の敷地で随分と広かった。千葉の印旛沼公園も、今は桜の名所だが、実は中世の城跡である。ここは山城で平城の前2者とは様子が違う。飛山城では西と北を鬼怒川で守り、南と東を盛り土の城壁で守る。戦国期の戦闘の様子を模型で説明している。門の内側に枡形があって門を打ち破った敵は枡形からの弓に晒される。櫓台が土塁の所々に突き出ていて土塁を駆け上がる敵を横から射る。堀は空堀で、その土が土塁になった。高さ8mほどの城壁だから、再々落城したのは当然だ。城内の土塁はもっと背が低くて、これで守れるのかという印象だった。
- 「烽屋」と書かれた墨書土器が竪穴住居跡で発掘され、平安時代には東山道沿いの烽火台で、常駐の役人がいたことが分かる。律令時代の軍防令に書かれた烽制をパネルで解説してあった。中国の西域が開放されて、古代の遺跡がTVに映し出されるようになった。砦かと思い紛うばかりの立派な烽火台を見た。日本ではこの遺跡に繋がった烽火台はもう残っていないだろうが、西域には繋がって残っている。重ね合わせて古代に思いをはせた。城跡はクヌギ林であった。馬酔木の花芽が出始めていた。千葉ではもう咲きかかっている。栃木と千葉の温度差を思う。
- とびやま歴史体験館で芳賀氏の菩提寺である同慶寺への道順を聞く。新開発の街を横切って国道408号線のJA清原に出るとすぐ近くにある。長い参詣路を通ると小さな鐘楼を持った本堂と庫裏が見えた。裏に墓地。一帯が梅園だがまだ咲いていない。ここでも栃木と千葉の気候のずれを感じた。本堂へは立ち入り禁止だった。門柱石には臨済宗妙心寺派と大書してあった。早めに停留所に向かう。この時間帯ではJRバスは2時間に1本だ。寒さを凌ぐために次の停留所に向かって歩く。まだ時間があるのでさらに次の停留所に向かう。結局下車した下竹下まで歩き、さらに15分ほどバスを待った。戻りのバスは、少々国道123号線から入り込んだ位置にある宇大工学部正門とイトーヨーカ堂のスーパーへは立ち寄らなかった。旧道のある場所は旧道を走る点は往きと同じであった。
- 我が家には3時間後の8時半頃に戻った。
('10/02/16)