金属材料の最前線

東北大学金属材料研究所:「金属材料の最前線−近未来を拓くキー・テクノロジー−」、講談社BLUE BACKS、'09を読む。私は長年化学会社に勤務した。耐食性金属材料には常に関心を払っていた。だが専門の研究室があって、私が直接研究せねばならぬ問題にはならなかった。会社生活も終わりの頃になって、会社が原子力燃料の後処理に関わり合うようになった。金属材料の放射線損傷を知ったのはその頃である。今度は本業の一端にその知識を仕入れようとした。本書を店頭で見つけたとき、もう20年から昔のあの頃を思い出し、おさらいをしようと思った。目次には原子力材料の項はなかったけれど。
本書は冶金学の背景となる基礎科学から説き起こしているが、量子力学から熱力学的平衡状態図まで、固体材料に重点があるだけで、我ら化け屋と冶金屋の基本的なDNAがほとんど同じであることを示している。トランス材料はアモルファス鉄を使う。アモルファス固体は機能性付与の一つのヒントである。だからか、割と紙面を使った説明になっている。化け屋の材料としてはガラスやゴムあるいは非晶質プラスチックが有名だ。アモルファス状態を作る過冷却のたとえ話に、飛行機雲が出ている。空中の過冷却状態の水蒸気が、ジェットエンジンの微細ダストを核に凝集して水滴になったのが、平衡状態である飛行機雲という。我が家の上空は羽田空港や成田空港の飛行航路になっている。でもあまり飛行機雲は作られない。都会上空にはダストが充満しているから過冷却が存在しないと言うことか。澄み渡った高空を飛行するジェット機には、飛行機雲が見えることがある。私は、飛行機雲は、ジェットエンジンがはき出す大量の水蒸気が、高空の低い気温のために水滴になるためとばかり思っていた。どちらが正しいかなどと思ってしまう。
本多光太郎先生によるKS磁石鋼の発明からもう90年あまりになる。鋼鉄は素人にはごく単純な素材に見える。でも新日鉄に行った友人に聞くと、たいそうな数の人材を今も研究にかけているという。本書を見れば、理由は鋼鉄が不均質固体だからだとすぐ気がつく。異なる結晶系が入り交じっている。微量成分が固溶している、鉄との化合物として、あるいは粒間析出物として存在する。結晶のサイズが違う、加工中に方向性が生じる。これらの因子を適切に組み合わせることによって、まるで別個の素材のような鋼鉄を生み出すことが出来る。100nmオーダーまでは結晶粒径の平方根に逆比例して強度が上がる。その一方では「粒間すべり」から来る超塑性変形があって、低温・高速加工に弾みをかけそうだ。方向性の例はトランスとかモーターに使う強磁性鋼である。鉄鋼業は計算材料科学がもっとも進歩した業界で、電子、原子レベルの量子論に基づく解析から最後の製品の稼働時のマクロの変形挙動に至るまでのマルチスケールシミュレーションが、開発研究に用いられるという。TVの旅番組で、ブルガリアであったかルーマニアであったか田舎の鍛冶屋風景を紹介していた。そこの親父が「スエーデン鋼」を使っていると自慢げに言ったのを記憶している。書いてはないが、「スエーデン鋼」も「日本刀」も昔はその国の特産であったが、今では「科学解明」されて、エッセンスは世界共有の技術になっているはずだ。
飛行機の構造材料が主にジュラルミンであることは小学生の頃から知っていた。太平洋戦争で撃墜された敵重爆B-17の翼か胴の破片を見たことがある。アルミ合金でアルミ単体同様に軽いが硬い。この特性の大巾改良は、マグネシウムや銅あるいは亜鉛の数%を溶融混合し、固化後比較的低い温度に保持することにより時効硬化させて得られる。アルミ−銅平衡状態図は数%程度の銅含有量であれば単純で、アルミ固溶体と2:1の金属間化合物である。固溶体に溶ける銅は僅かだから残余は金属間化合物として析出する。量的にはアルミが多数だから、アルミの結晶系を阻害しない準安定系相の姿で析出が行われるが、時間とともに追々と安定相に移行する。2段目の準安定相に達したときに硬度最大になる。冷戦時ソ連最新鋭のミグ戦闘機が構造材料に鉄を使っているとして話題になったことがあった。軽量耐高温で強い金属はチタンで、西側の戦闘機ではチタンが常識であった。でもこの金属は高価である。メガネのフレームにチタン製があるが、高級品である。化学産業では耐食性に注目した用途が多かった。耐食性は表面に強固な不動態皮膜を生じることにより得られる。現役の頃は耐食性と言えば18-8ステンレス鋼をまず頭に浮かべたものだ。18がクロムで、8がニッケルである。不動態皮膜を作るのがクロムの役目で、ニッケルは皮膜が苦手とする非酸化性の酸に対する耐食性の改善を目的とする。不動態の電気化学的説明が付けられている。分極の意味が分かっていないと理解できない。
包丁や鋏にセラミック製が出てきたときは驚いた。材料は、強靱のためセラミックスチールの別名をもらったイットリア安定型ジルコニウムだそうだ。ガスタービンのブレード表面をこの皮膜が覆っている。ナチス・ドイツが敗戦間際になって実戦参加させたジェット戦闘機は、ジェットエンジンの運転温度がせいぜい600℃ぐらいだったろうが、今ではガスタービンですら1500℃だそうだ。ジェットエンジンはさらに高温である。高温ほど熱効率が高いことは熱力学が教える。スペースシャトルの被覆コーティングが剥がれて帰還が危ぶまれたときがあった。あの材料はSi-Cで、耐高温耐酸化性材料として実用化されたのは、高純度高密度の緻密なSi-C成形材を作れるようになったからである。不純物、介在物はセラミックを脆くし、高級な機械材料にさせない。耐酸化性は空気層に再突入するとき、機体のエッジが1500℃からの高温になり、空気酸化されやすくなるために必要である。
アモルファスな金属ガラスは東北大学金属研究所により近年に開発された。結晶金属は単相でも粒間界面を作るし、合金であれば微視的には異質の固相が複雑に入り交じり、共に材料の欠陥となって物性を損なう場合が多い。過冷却状態の金属ガラスは均質の固溶体状態だから、過冷却状態が準安定的に維持可能なら、今までの結晶金属を凌駕する物性を期待できる。圧力センサーや流量センサーなど計測機器、マイクロマシン、高耐食性被覆などへの応用が実用化されているという。Nb系合金の、ステンレス鋼をはるかに遙かにしのぐ耐食成績が例示されている。Nbリッチの不動態皮膜の容易生成が上げられている。ブラジルが、世界の95%のNbを産出する。現実に見出された金属ガラス系は、いずれも3成分系から5成分系のかなり高価な配合である。
Si結晶ウェファーによる市販太陽電池は、ウェファーが多結晶なら変換効率が14-16%ぐらいだ。単結晶だと17-20%ほどゆくらしい。私が現役の頃の10何年か以前では10%をちょっと出たぐらいと聞いていたから、かなりの進歩があったようだ。多結晶型の方が大量生産に向いており、経済性に優れる。だが従来のインゴット製造法では、結晶粒が小さく、ランダム粒界のような電気的に活性な結晶粒界が存在し、かつ結晶粒方位がランダムであった。電気的に活性とは、光で電子と正孔に分かれた電気のキャリアが再結合してしまうことだ。この研究所で開発したデンドライト利用キャスト成長法はそれらの欠陥を克服し、単結晶並みの成績を上げた。多結晶ながら各結晶のサイズが大型になり、双晶型界面は電気的に不活性だ。ルツボ底面にデンドライト結晶を作り、その上面を結晶基板にその結晶方位や結晶組織を継いだエピタキシャル成長を行わせるという。私はグラファイト結晶表面の吸着能の原子位置に関する相違を調べたことがある。SiとCの違いはあるが、基礎理論の解説は、結晶方位は別として、おぼろげながら分かる気がした。
水素貯蔵材料の開発状況が載っている。昔、平井ら:「ポピュラーサイエンス 電池の話」、裳華房、'89を読んだ。燃料電池搭載電気自動車の記載はなかった。定置型燃料電池としてのリン酸型を主に解説していた。メタンほかを改質して水素を取り出し、水素−酸素電池として電気を取り出す。20年後の本書は、電池構造には固体高分子膜型に期待を寄せ、燃料に水素を搭載する自動車を主に取り上げている。水素運搬が難問なのだ。1回補給で500kmは走りたい。5kgの水素をせめて150kgぐらいの容器で積載できないか。重すぎては60%にも達するというせっかくの燃料効率を相殺してしまう。光触媒は東大の研究室から生まれた。もう40年から昔だそうだ。その科学的な説明と多岐にわたる応用が解説してある。私は昔、光化学協会編:「光化学の驚異〜日本がリードする「次世代技術」の最前線〜」、講談社BLUE BACKS、'06でその概要を読んだことがある。そのときの疑問であった、二酸化チタン以外に実用的な触媒が見いだせない理由が本書に載っている。
就職してからすぐに大枚を払ってソニーの録音再生装置を買った。移動式の8mm映画映写機ほどの大きさの、テープリールが2個動く、今のカセット式のそれとは比較にならないほど大きな装置であった。磁気記録のデバイスに半世紀の間に起こった技術の進歩が本書に収められている。記録方式が媒体の長手方向から垂直方向に変わったと言うぐらいには驚かないが、読み出しに関して、巨大磁気抵抗効果(GMR)やトンネル磁気抵抗効果(TMR)を利用する方式が主流になったとは全く知らなかった。超薄膜の強磁性体、非強磁性体金属積層膜に磁場をかけると電気抵抗が変化する現象が前者で、後者では強磁性体金属、超薄絶縁体、強磁性体金属の三層構造体の絶縁体に磁場によりトンネル効果に差が付くことという。
最後の章は有機電子材料である。またまた過去の記憶で恐れ入るが、正月が来るたびに将来の夢を特集的に羅列した記事を載せる新聞があった。いつであったか、壁掛けテレビをイラスト入りでその一つに取り上げていた。ほとんどの夢が実現しなかった中で、この夢だけは正夢に近づいた。液晶テレビである。でもまだ本当の壁掛けではない。だが一昨年暮れに市販が始まった有機ELテレビは真正の正夢である。金属薄膜のマイナス電極と透明なプラス電極で挟んだ有機半導体中の発光層を、電圧をかけることで注入した電子とホールの結合部として発光させる。有機EL素子は液晶に比べて応答速度が速いという何よりの長所の上に、ひょっとして従来の印刷技術が利用できて格安の革命的製品になるのではないかという期待がかけられている。導電性高分子の功績で白川博士がノーベル化学賞を受賞されたとき、何の実用用途があるのかちょっと想像できなかったが、有機EL以外にも研究開発がホットに進められるとあり、瞠目した次第であった。
アモルファス金属まではいいが、私の分類ではとても金属に入らない(多分、世間でもそうだと思う)セラミックス、有機電子材料、光触媒、太陽電池まで本書の「金属材料」に含まれているのには驚いた。たぶん著者らの所属する研究所の伝統的な名称に従った表題なのであろうが、中身は「機能性材料の最前線−東北金属材料研究所のテーマより−」とでも題した方がより適切である。

('09/11/02)