数学の歴史

加藤文元:「物語 数学の歴史−正しさへの挑戦−」、中公新書、'09を読む。大学受験時代だったと思うが、記憶力を磨くには円周率を覚えるといい、というデマが信じられていた。私は苦労して50桁ほども覚えた。今でも3.141592653あたりまではするすると出てくる。文部省の中学学習要項に、円周率は3で計算してよいという、ゆとり教育方針が出たため、教育界が騒然となったことがある。紀元前1世紀頃の中国の「九章算術」では3だった。最近ではどこかの大学がスパコンを丸3日動かして円周率を2.5兆桁ほどまで計算して、新聞記事になった。どれほどの科学的意義があるのだろう。算式は高校生になったら習う。暇な計算をやると思った。和算では3.16だったと聞いていた。本書にはそれは俗説で誤りだとある。円周率の問題は、数学の進歩を語る好適の指標として、本書にしばしば引用される。
チンパンジーのアイちゃんだってある程度の桁の足し算が出来る。先日は上野動物園の象が7までなら数字の大小比較が出来るとTVが報じていた。数字を持たぬ未開人種は数を数えるのに体の部分を使う。指は手足で計20本、あと鼻の穴まで勘定しても40に届くかどうか。それ以上になるとたくさんと言うとはどこか(多分戦前の日本人医師によるボルネオ紀行記)で見た。彼らにも算数はある。四則演算のうち足し算、引き算、掛け算あたりまでは一意的直感的だが、割り算になると意味付けによって表現が変わってくる。
私はユークリッドの互除法なんて知らなかったし、ギリシャ数学に受け継がれるエジプト数学が、2/13=1/8+1/52+1/104という奇妙な分数分解を残しているなんてことも知らなかった。でも割り算が数学の芽であるとは感覚的にも正しいと思われる。現在の数学は私にはチンプンカンプンで、理論物理を支える最高の手段して、限りなく哲学に近い科学の1分野といった印象を持っている。本書の、数学は科学かという問いかけへの解説は哲学的で、とてもじゃないが理解の外にある。数学行為の始まりが、円の直径は円の面積を2等分するという当たり前の命題の抽出にあるのは分かる。ピタゴラスの定理が、メソポタミア文明や黄河文明で、すでに見いだされているとは知らなかった。
大学の入試は数理代数と微積分で受けた。幾何は高校の教科にあったが、受験科目でなかったという理由で、あまり勉強しなかった。公理と定理(命題)の世界で、本書に出てくる公準という言葉は記憶にない。本書の公準は公理として学んだと思う。点と線、円、平行線などという当たり前の単純なマニフェストから、タレスの定理とかピタゴラスの定理とかちょっと一般化しては言いにくい事実を導く。だがギリシャ人たちはすぐ公準からは救えない問題があることに気づく。角の三等分問題はよく知られている。ほかに立方体の倍積問題と方円問題が出ている。前者は祭壇の形を変えずに、大きさだけを変えるという宗教儀式的問題から出てくる。美しい数学は無理数の発見で、自然数のハーモニーからは想像のできない落とし穴にぶつかる。ユークリッド原論は、比喩としては適切でないかもしれないが、日本でお宮に奉納された算額のような合理的精神の雑多な産物を、演繹法や帰謬法を武器に統一的に体系化した、数学の金字塔である。帰納法というのはもっと後世にならないと出てこないらしい。
アルキメデスは前3世紀の人で、ユークリッドから半世紀遅れて出生した。円周率を使った円の面積、球の体積、円錐の体積の公式を残した。円周率という数の概念があって始めて求まる公式だ。その円周率は円に内接外接する正96角形から3.14と近似した。正n角形のnを無限にする極限が円周率になるという微積分の原理を、紀元前に提示したのである。3世紀頃には、問題を記号化する解法が、数学技術として取り入れられ出した。文章表記より数式表記の方が理解容易なことは経験済みだ。古代ギリシャ・ローマの近代数学に通じる思想は、中世に入りヨーロッパからアラビアに渡り、伝統の図形的証明からアラビア風の代数的証明を混交させて発達した。それが500年を経て12世紀に再びヨーロッパに還流され、西洋近代数学の萌芽となる。アラビア数学の代数的性質は、コーランに記されている複雑な遺産相続法の、一般的計算法と関係があるという記述は目新しかった。その中には2次方程式の一般的解法があるという。「孫子算経」は3世紀の書物であるが、当時の世界最高水準の数学書であることが分かる。
図形の数学を徹底的に代数的な数学に置き換える業績で、ヴェイトは近代数学の始祖となった。デカルトとフェルマーは図形を座標上の方程式で表す、逆に関数を図形で示す、それより接線法で極大極小を求める対応関係をつかんだ。ニュートンとライプニッツは、無限小の概念の正当化という哲学的問題を先送りとしながらも、微分積分が相互に逆の関係にあることを明示し、整合性のあるまとまった体系の数学に作り上げることに成功した。17世紀後半の話である。ベルヌーイ、オイラーが無限級数に新天地を展開する。19世紀に入ると西洋数学が爆発的に進歩し、世界をリードすることとなる。その発端が非ユークリッド幾何学の発見だ。
零の発見、無理数の発見に継ぐ数学上の画期的事件が非ユークリッド幾何学の発見だという。前2者については分からぬでもないが、非ユークリッド幾何学になるともう常識を越えていて分からない。本書には正多角形から想像できる球面の三角形タイル張りによって、非ユークリッド空間を説明している。個々の三角形の内角の和は2直角以下になる。つまり平行線は彼方で交わる。この発見が新たな豊穣の沃地を近代数学に与えたとある。
和算は関孝和の頃から中国数学を凌駕するに至る。関は17世紀の人である。行列式の研究では世界の最先端にあったという。建部賢弘は「円理」という日本独特の無限小解析の伝統の祖となった。それに基づき松永良弼は円周率を小数点以下なんと49桁まで計算した。東洋数学の頂点・和算を西洋数学と比較して、函数概念、座標概念、体系的記号系、角度の概念に欠けると評した人がいるそうだ。それにしても鎖国状態の小宇宙で、よくもこれほどまで発展したものだと感心する。筆者は、最後に水をあけられた理由を、上記指摘に加うるに、知的好奇心と逸材に劣らなかったものの、自然科学との関わり、哲学思想との絡み合いに薄かった点をも上げている。取り組み方が趣味的でさらにその奥に存在する哲理には、関心が薄かったと言うことだろうか。
学生時代に3次方程式の例題を2-3題解いてみた。手続き煩雑で明日もやって見ようとは思わなかった。5次以上は解けないと教科書には書いてあった。正確には四則演算とべき根による代数的解法では解けないと言うことらしい。定規とコンパスによる作図だけでは角の3等分が出来ないが、ヒッピアスやアポロニウスの図形を使うと解けてしまう。代数的というルールを外すと5次方程式だって解ける。代数的な不可解性の最終証明は、解の入れ替えによる対称性の群を取り扱う群論によってなされた。対称性の重要性に注目したのがラグランジュであり、方程式の研究を対称性の研究に帰着させたのがガロアで、さらに対称性を幾何的に見える翻訳をやり、超代数的解を求まるようにしたのがクラインである。と解説されても、中身はさっぱり分からない。工学部ではもちろんのこと、大学院工学研究科の数学教科にも、少なくとも化学系、機械系では、群論はなかったと記憶する。
教養課程に図学があった。製図の基礎とぐらいに思っていた。射影幾何学はその先の学問らしい。遠近を付けて図形を眺めた風景から、やがて図形の形状に拘らない本質に迫る。やがてこの「見る」学問に「計算する」学問が融合して代数幾何学に至る。内容は基礎がないからさっぱり分からない。だがその学問がナポレオンのロシア遠征のフランス兵捕虜のコサック収容所で、あるいは2次大戦下のドイツの連合国兵捕虜の収容所で発展したというような話は面白い。彼らには学問をする自由が与えられていたようだ。シベリア行きの日本兵捕虜は戦後何年も酷使された上5-8万人の死を見た。言いたくないが、アジア人は半ば牛馬扱いでいいと言った蔑視が、白人には共産ロシアでさえ残っていたと言えるのではないか。
私にはガウスは古典電磁気学理論の学者である。昔の10マルク紙幣には彼の肖像が描かれていた。日本の紙幣に、理系の学者が飾られた例は野口英世以外にない。福沢諭吉の「学問のすすめ」は今年読んだ。西洋文明の翻訳である。樋口一葉の短編小説は昔読んだ。社会の底辺に漂うペイソスを鋭い切り口で見せている。ただしどれもワンカットだ。ともに世界的には無名に近い。それに比べれば業績を世界で評価された理系の学者は、日本に結構大勢いる。1人ぐらいお札に載ってもいいように思う。ついでだが、野口の学問への貢献は現代では否定されている。その意味でも日本銀行は時代遅れである。ちょっと脱線したが、ガウスが当時の数学を画期的にアウフヘーベン(aufheven)した大学者であったとは知らなかった。彼の業績をリーマンとそれに続くヒルベルトらが完成する。函数の概念、面の概念、形の概念の3つの概念が統一されて「代数幾何学」に統一されたとある。概念の集まりがやがて集合論に進化する。集合論には、今もって解決に至らないある種のパラドックスが存在する。19世紀後半の大ブレークは残念ながら私の理解の外にある。だが最後の方になって、化学屋にもおなじみのフーリエ級数が登場する。電磁波応用の化学分析機器に無くてはならぬ数学である。わずかに半ページほどの紹介だが、集合論への道筋にある技術として紹介されている。
先世紀も末に近づいた頃、フェルマーの最終定理が証明されたと言うニュースは新聞種になった。3世紀半もかかった問題だった。解法は整数論と代数幾何学のごった煮なんだという。フェルマーの最終定理とは、ピタゴラスの3つ組の問題、すなわちx**2+y**2=z**2となる整数のx、y、zを求める問題、をさらに拡張したx**n+y**n=z**n(n:3以上の自然数)の3つ組はないという定理である。志村・谷山予想が解決に重要な役割を担ったとしてある。西欧数学化した日本の数学界から世界に貢献できた研究の頂点にあるものなのだろう。証明者のワイルスは'98年にフィールズ賞に輝いた。数学のノーベル賞である。なお日本人でこの賞を取ったのは、特に紹介はされていないが、小平(東大)、広中(京大)、森(京大)の3氏である。
最終章「空間と構造」は今日の数学の最先端とその裏にある思想を解説する。私の化学屋としての最後は、スケーリング理論とかフラクタル幾何学あるいは浸透理論といった数学とのおつきあいであった。これらは最終章の一翼になっているのだろうか。

('09/09/23)