ヴェネツィア共和国の一千年U
- 塩野七生:「海の都の物語〜ヴェネツィア共和国の一千年〜2」、新潮文庫、'09を読む。
- 第4話はヴェニスの商人という表題になっている。シェークスピアの有名な同名の戯曲では、ユダヤ人の金貸しシャイロックが、主人公に彼の肉1ポンドを担保に大金を貸す。冒頭著者はそんな話はあり得ないと否定する。
- 海洋商業国家ヴェネツィアは国営の定期航路を持つに至る。定期航路は交易の安定化にきわめて有利である。東地中海航路としてはギリシャ航路、シリア航路、アレクサンドリア航路。ジブラルタル海峡から大西洋に通り抜けイギリス、北フランスに行くフランドル航路も主要航路の一つであった。彼らの船はさほど大型化されない標準化されていると言ってよいほどのガレー船が主力であった。ガレー船乗組員は即戦闘員であり、軍艦兼商船になっている。常に対立反目競争を繰り返したジェノヴァ商人が一発型の大型(最大級は1千トン)帆船を好んだのに対し対称的で、乗組員あたりの積み荷量は10:1と不利であった。それでも交易戦では、特に東地中海、黒海においてヴェネツィアは覇を唱えることができたのである。
- ガレー船というとベン・ハーの映像を思い出す。これはローマ時代だ。船底の鎖に繋がれた奴隷の漕ぎ手が、兵士の太鼓に合わせてオールを漕ぐ。敵の軍船に体当たりを食らったら、溺死の運命が待っている。このHPに「蒙古襲来絵詞」がある。博多の志賀島の国民休暇村の資料館にその写真が展示してあった。蒙古軍船の漕ぎ手が、甲板で、筋骨逞しい鬼面の兵士の叩く軍鼓とどらに合わせて必死に漕いでいる。足に鎖はないが、戦いのさなかと言うのに無防備である。中国のガレー船だ。こちらも奴隷が漕いでいるのだろう。彼らに比べるとヴェネツィア船の漕ぎ手は、まるっきり待遇も参加意欲も違っている。彼らはれっきとしたヴェネツィア国民で、漕ぎ手の他に水兵を兼ねており、さらにその船への積荷枠を持っているから寄港地では商人である。中世に人権擁護の思想などあるはずはないが、一蓮托生意識を高めるためには何でもやった。最下級船員の彼らにたいし、死んだり傷ついたときの損害賠償、航海中の待遇の規定など手厚い。漕ぎ手用防弾(防矢)チョッキがあったそうだ。
- ヴェネツィア人は西欧における複式簿記の先駆者である。彼らは近代的な意味の銀行を創った。これは外国での商取引に革命的な利便を与えることになった。投資型の銀行ではなく融資型であった。主な融資先が国家であった。国家の踏み倒しによって倒産するケースはヴェネツィアにはなかったのは、商業的融資に徹しかつ注意深く危険分散していたからであろう。他の商業国家のような財閥はヴェネツィアからは出なかった。金融資本主義的経済であれば富の集中が起こるが、商社的経済であれば中小商人も潤う社会になると言うのが著者の見解だ。ヴェネツィアの銀貨は当時の国際通貨であった。金貨は銀産出量が衰え、各国に金貨が出周りだしてからヴェネツィアも出すが、常に政府は貨幣価値維持に尽力を惜しまない。赤字のたれ流しを憚らないドル発行国とは大分様子が違っていた。戦費調達に短期国債を、通貨安定に長期国債を発行し、市民に割り当てている。人口の1%強にあたる富裕層が買うのだ。家族単位であったなら7-10%が購入層だ。その6割ぐらいが政治参画を許された貴族階級だという。長期国債も直接税も発明したのも彼らだという。「上」が国家を支える。都市国家だから根付くことのできたモラルであったのか。ちなみに中世の西欧における税とは、間接税のことで、不動産税とか所得税という直接税の概念はなかった。
- 元首は市民大集会で選んだが、やがて共和国国会が選び市民大集会が承認する形式になり、ついで市民大集会の認証も必要でなくなり、その体制で後半の5百年を持ちこたえた。国会議員は終身制で、彼らが共和国の貴族なのである。貴族と言っても政治プロの資格以外には特権がない。政治プロを育てる基盤が家族であったから、世襲議員は当然だったとある。元首補佐官、元老院、内閣、各種委員会など国会議員から選ばれる政治の要職は、いずれも就任期間が短く、再任には一定の休職期間を経て後でないと認められない。同一家族の継続的独占排除に事細かな配慮がなされている。合議制が重んじられ、監査のための委員会が恒常的に併設されていた。性悪説に基づく政治体制であった。だが性善説に基づく政治体制であったフィレンツィエよりも、ずっと長く国家を維持し続けることができた。行政官は対称的に終身雇用であった。しっかりした官僚機構が短期間に交替して行く政治家のトップを支える。明治以来の日本の行政に似ていたらしい。
- 中世のイタリアの政治形態は、時代と共に僭主制から君主制へと転換していった。法皇、皇帝の勢いに常に翻弄されていた。専制体制の国は動きが早い。一旦緩急の対抗処置には悠長な合議は許されない。小さな都市国家に過ぎないヴェネツィアにとって判断の遅れは国の命運に関わる。非常時に一般討議を割愛して決定する。その役割を「十人委員会」が受け持った。ヴェネツィアにも共和国体制崩壊の危機が2度ほど訪れている。十人委員会はもともとは反国家陰謀への迅速対処のために創られている。その目的にたいして機能したのは、2回目の時であった。十人委員会は首謀者の元首を斬首刑に処している。
- 異教徒との取引である東地中海貿易には法皇が介入してくる。法皇にイスラム教徒との取引を禁止されると、名目上はオリエントのキリスト教徒との交易に切り替える。ダミー取引だ。聖ヨハネ騎士団のお手伝いをやって法皇の通商許可を取る。賄賂を送る手も使う。だが、宗教の介入はヴェネツィア人にとって悩みの種であった。彼らは細心の注意を払って法皇の影響を排除した。元首の戴冠式に周到ぶりを覗かせている。まず本寺・聖マルコ寺院が司教の坐所ではなく元首の個人礼拝堂である。戴冠は法皇の代理たる司教が行うのではなく、元首補佐官の最年長者が行う。教区の司祭は住民が選び司祭は承認するだけだ。莫大な寄進の集まる聖マルコ寺院の財務管理には終身の監督官が送り込まれて、法皇の自由にさせない。東地中海からの聖遺物信仰も、法皇の影響を排除する隠れ蓑であったとは、うがった見方である。
('09/07/03)