夕陽の日本海

8月末の3ヶ日を大人の休日パスによる夫婦旅行で過ごした。前2日間が雨模様で、最後の日だけが晴だった。予報がだんだんずれて雨がほぼ確実になった2-3日前に、日程をずらすことを考えたが、すべての予約、前売りを動かすのは大変で、ことに富山は風の盆が9月早々にあるためにホテルが満員のため、予定通りに行動した。
9:56東京発のはやて13号で八戸に13時前に到着。昼は車内販売の弁当であった。はやてに自由席がないことは認識していなかった。新幹線の知見は現役時代に馴染みがある東海道新幹線が基本になっているためであろう、他の線では戸惑うことがある。在来線のつがる13号で弘前に行く。車窓から八戸〜青森の新幹線延長工事がかなり進捗していることを知る。野辺地あたりから雨。でも弘前では雨は上がっていた。前線が日本列島を覆っていて、あちこちで豪雨を降らせ、水害が出たところもある。でも列車から見える河川の水量はそれほどでもなかった。八戸から三沢あたりまでにキク科の雑草が一斉に黄色い花を咲かせている。陸奥湾沿いから弘前への林間部には、セリ科の白い傘状花序の花が目立った。私には北の標識である。関東ではお目にかからない花だ。我々の住まい近くではもうとっくに終わっているアジサイの青い花が見れた。ムクゲが咲いている。サルスベリは花の付け方がまだ寂しい。リンゴが色づいていた。袋を被せてないリンゴは王林のような赤くならないリンゴなのであろうか。林間部にオニグルミらしい樹木、川辺にヤナギ科の樹木が見えた。
この旅行初日の目玉は、五能線の快速しらがみの車窓から見る夕陽の日本海のはずであった。日没の時間に丁度海岸を走るしらがみ6号の指定席が取れたから、組み立てた計画であった。しらがみは全席指定席の観光列車である。弘前駅で1時間あまりの待ち合わせ時間がある。7年前に訪れたときとは、駅舎も周囲の風景も一新して現代風になっている。聞けば駅舎は4年前に建て直したそうだ。有名専門店が入ったビルで、もなかなどの土産を買った。前回訪問の時には駅で津軽塗りのループタイを買った。その田中屋?は見なかった。土産物店にも時代の推移がある。改札に戻るとしらがみの列車表示がない。大雨のため運行取りやめと出ていた。すぐ秋田行き特急かもしか6号に切り替えた。日本海での日没は見られなかったが、男鹿半島の山の連なりの鞍部に沈む太陽が、たまたま雲の切れ間に一瞬見えたのは幸いであった。津軽半島の首根っこあたりでは豪雨があったらしく、日没を見た森岳あたりの川がオーバーフローして、低地を冠水させているのが見れた。線路脇に大型の白または黄白の花を付けた樹木が目につく。1種類ではない。天に向かって突き出ている総状花序の花はアオギリか。樹表を覆うように広がっているのはクサギか。
秋田駅前のホテルがその日の宿舎であった。新しい気持ちのいいツイン部屋であった。秋田には何度か来ている。今回で多分4回目の訪問になる。初めて秋田を訪れたのは何年昔だろうか。千秋公園と藤田嗣治の大作「秋田の行事」の記憶が残っている。2回目でもまだ私の日記が電子化される以前で、検索できない。川縁の小料理屋に出掛けて、きりたんぽ料理であったかしょっつるであったか、とにかく郷土料理を注文したが、口に合わなかったのを覚えている。駅正面はめぼしい建造物の記憶はない。3回目にはクルーズ船で来た竿灯の記憶、このときは駅に行かなかった。今回見る駅前は、弘前以上に改築改装されていて見違えるほどであった。イトー・ヨーカ堂まで「ぽぽろーど」という屋根付きの幅広い歩行専用道路が駅から接続されている。
翌日は8:49発のいなほ8号からだった。奥羽本線、羽越本線とも結構単線区間がある。南下につれてサルスベリに花が多くなる。クリの青い実が判るようになった。高速道路の建設がかなり進んでいる。4時間の後に新潟に到着。北越6号に乗り換え。弁当は売っていなかったので、またも車内販売を利用する。そこから3時間ほどで富山に着く。直江津あたりからの北陸新幹線建設は確実に進んでいる。庄内平野、新潟平野は農産地だが、休耕田や休耕畑が目につく。もう耕作を止めてから長年になるのか畝の原形が保たれていない蔓性雑草に覆われた畑が目についた。稲穂の中に背高の雑草が顔を出している田圃もあった。昔ほどには米作に丹精しなくなったのだろう。民家はすっかり建て変わっていて戦前の面影は残っていない。TVで欧州鉄道の旅と言った番組を見ると、過去の雰囲気を伝える街並みが家並みが旅心を煽る。新幹線の沿線では滋賀県の北方が幾分それに相当する。でも東北も奥羽も羽越も、車窓の町や村は、てんでバラバラの不統一なそれも安っぽい家の雑多な集合と言った印象だ。欧州でも結構木造建築があるのだから、自らの過去の文化に対する誇りの問題のように思えて仕方がない。
富山に到着したときは小雨であった。ホテルは歩いて5分ぐらいの位置だった。富山の駅舎とその周辺もモダンだが、秋田ほどではない。ホテルの向かい側の並びに鱒寿司の青山本店が見える。家内は口コミで、数ある鱒寿司屋の中のトップクラスと位置づけていた店だそうだ。そこに特上品がある。それは本店にしか置いてない品だ。ぶりの乾物「いなだ」が置いてある。今はそれほど売れないが、昔はこの地方の中元や贈答品の定番であったそうだ。刺身のようにスライスして三杯酢とか味醂ほか酒に浸けるなどして食う。酒の肴である。保存食だから少々塩辛い。結構高価である。青山は日曜が休みだとのことで、店を見つけられてよかった。店内に舟橋の古い絵が掛かっている。聞いたら神通川の風景だという。昔は固定橋が架かっていなかったらしい。鮎漁が盛んだったという。翌日博物館前で見た新旧対比地図には、神通川が城に接するように流れ、舟橋は城近くの位置にあったことが判った。今の神通川は明治時代の付け替えだ。夕食は駅前のマリエ・ビルのレストランで越中うまいもの膳を食った。ホタルイカ、アマエビそのほか小皿の数々の料理が付いていた。
富山は予定していた2つ目の目玉である。翌日のお話は別記することとする。

('08/09/03)