高校生の経済学
- G.E.クレイトン:「アメリカの高校生が学ぶ経済学〜原理から実践へ〜」、大和証券訳、大和総研監訳、WAVE出版、'05を読む。原著は626p.と言う分厚いテキストで、日本の読者にそれほど重要でないアメリカ固有の制度などに関する記述は翻訳を割愛したとある。それでもこの訳本は369p.ある。アメリカには、高校生段階より、経済学の視点から、社会の仕組みを個人の役割から政府の役割に至るまでを考える教科書があるとは、一種の驚きである。次々に教育関係者が醜態をさらす今日では、国民のあるべき姿を先生がお説教するより、よほど科学的説得力がある。共産圏の「毛沢東語録」的教科書に対抗して作られたものなのだろうか。
- 今の日本の高校教育に経済学がどれほど出てくるのか知らない。私は大学に入ってから経済学を大内兵衛:「経済学」、岩波全書、'51で始めた。そのころの我が国の経済学者はマルクス派が半分以上と言われていた。大内兵衛はその重鎮であった。共産党、社会党が政界の一大勢力であった時代である。独学だからマル経のほかに近経があるなど知らなかった。近経に気がついたのは、戦前の京大事件で有名な滝川学長が「マルクスなど今や古い」と言ったと、左翼学生が息巻いていたと耳にしてからである。エンゲルスの空想から科学へ、マルクス、エンゲルスの共産党宣言あたりまでは何とか読めたが、マルクスの資本論は半分も進まなかった。取り上げている時代が産業革命期の西欧でさっぱり馴染みがないし、語気に著者の社会に対する恨みつらみが滲んでいて、調伏の祈祷を聞いているようであった。言葉も難解だった。年を経てからケインズ経済学にも手を染めたが、原著の読みづらさは資本論以上だった。ともかく私の経済学がものにならなかったことだけは事実である。
- 最近我が国では所得格差論争が盛んである。自由労働市場では格差は当然で、政府が放置すれば極端な差になってしまう。比較的制約の少ないアメリカの学歴による平均的格差が示されている。日本のデータも挟んである。大卒以上と高卒の所得比はアメリカでは2.2で、日本の1.4よりずっと高い。新聞の世論調査によると、若年層の最近の指向は終身雇用の能力主義だそうだ。二律背反だ。これでは格差はアメリカを超えて増大する。所得比が3~4になってもいいというのだろうか。父の時代の大卒初任給には、帝大と私大には格差が初めから付いていた。まず初任給の時から大学がランク分けされ、入学困難大学出は月給50万円から、募集定員未達大学出は高卒並み待遇からと言うような状況でよいというのだろうか。先日日本人の平均寿命がまた延びたと報道された。1人あたりのGDPでは日本よりも何割か高いアメリカが平均寿命では4歳以上劣る。私には労働市場の性質の差が一つの大きな要因だと思える。
- 需要の弾力性にガソリンの例が出ている。今原油高騰でインフレ時代に入るのではないかと世間は戦々兢々だ。日本の総消費量では、5月が対前年同月比で5.5%、6月は8.9%も減っている。本書では個々のガソリンスタンドの需要は弾力性が高いが、総需要は非弾力的だろうとしている。昨年6月の価格は140円/L、今180円/Lだから30%近い値上がり。確かに非弾力的で需要の減少にも限度がある。高騰に目を付けたスーパー:イトーヨーカ堂が10円/Lのガソリン券サービスをやり出した。特定スタンドで使える。そこはおおはやりである。弾力性の変形を見る思いでいた。特に大型乗用車の需要が車の価格は変わらないのに急減した。アメリカでは前年の2-3割方落ちた。ガソリン価格急騰の心理的影響だ。こんな高度の経済学は本書のミクロ経済学では論じていない。タバコ、アルコール飲料などに高い税金が賦課されるのは、需要が比較的非弾力的だからとある。
- 特許切れ医薬品ジェネリック製造で急成長を続けるインド製薬会社の紹介をNHK SPで見た。特許所有会社では60円のものを18円だという。我が国では医薬品は非弾力的だが、開発途上国では疑いなく弾力的だから、この会社が爆発的に延びる理由が分かる。私は大学時代に原価計算の知識を1~2時間学んだ。民間会社に就職してそれがたいそう役に立った。本書と違うのは労務費の取り扱いで、日本では当時は労務費は固定費だったのに、本書では変動費になっている。生産量の増減に応じて労働者の雇用数を増減させることが出来るという前提がある。本書では、企業幹部に支払われる給与は固定費に入っているのが対称的である。
- 先月のWTOドーハ・ラウンドは決裂した。ネックの問題の1つは相変わらずアメリカの厖大すぎる農業補助金であった。200~300億ドルと言われる。本書は'99年の著作で'02年農業法についての記述はないが、基本線はより強固に受け継がれていると聞く。'96年農業法は期限の'02年には、農夫はあらゆる補助金を受け取れなくなる、それまでに、農夫は政府の援助が無くてもやっていけるように、供給と需要の法則に慣れていることが期待されていると書かれている。'30年に始まった価格支持政策を農民が容易に手放すはずがなかったと言うことだ。一旦ばらまかれた補助金は、当然の(永劫の)権利として受けた方の財布に収まってしまう。我が国にも数多くその例を見る。
- 8/6にFOMCがFF金利誘導目標を2%に据え置くと決定したと言う記事が出た。FOMCは連邦公開市場委員会で、連邦準備制度理事会FRBが定期的に開き、金利とマネー・サプライについて決定を下す。FF金利とはアメリカの市中銀行が、FRBに預けている準備預金を銀行間同士で貸し借りするときに使われる短期金利のことと言う。公定歩合と似た効果を期待できるらしい。本書のマクロ経済学:制度編には、アメリカの制度と機能が順序よく説明されている。日本もアメリカも金融政策は中央銀行が取り仕切る。やることも預金準備率、公開市場操作、公定歩合と似たり寄ったりである。しかし組織には大きな差がある。アメリカには12の地区の連邦準備銀行が形式上の中央銀行だが、民間銀行だ。金融政策を決定するのはFRBで、その理事は大統領に指名され議会の承認を受けた7人という。任期が14年で、長期展望の下に金融機関の指揮監督が行える。政治家の干渉に対する抵抗力にも大差が認められている。5期を勉めたグリーンスパン前議長は、今や金融政策の神様と崇められている。
- 私は現役の時退職後の生計について考えたことが殆どなかった。証券会社の敷居がそんなに高くはないものであると知ったのは、ここ何年かからである。年功序列・終身雇用の世界では、誠実に生きれば、会社があるいは社会が何とか成り立つようにしてくれるという信仰があり、現実にもそうであった。アメリカの社会ではそうは行かぬらしい。高校生の時代から、利殖のK/Hを知り、自分の将来を自分の責任で構築するように仕向けている。投資対象の数々には私の知らないS&L、最近やっと知ったミューチュアル・ファンドの話も出ている。リターンとリスクの関係で、ハイリターン、ハイリスクの「ジャンク」債から全く逆のトレジャリー・ビルにまで解説があり、ミューチュアル・ファンドの中の一形態であるマネー・マーケット・ファンドは、連邦預金保険会社FDICの保険適用外であることも書いてある。
- 債券の格付け会社スタンダード・アンド・ムアーズおよびムーディーズの評価が前者でBBB、後者でBaa以下が「ジャンク」債なのである。GMがジャンク等級内でまた1つ下がって、ムーディーズの投資適格等級から7段階下の「Caa1」となったのはつい先日のことである。債券の定額定期買い増しとか株式への分散投資とかリスク回避への知恵が書いてある。スポット市場、先物市場、オプション市場など素人向きではない市場の内容、ダウ・ジョーンズ工業株平均などのパーフォーマンス指数にも触れてある。ここまで教えてから、投資実習の時間でも設けたら、生徒はもう夢中になるであろう。
- 少々長くなったので、以下は「高校生の経済学U」に記載する。
('08/08/16)