京都の歴史

脇田修、脇田晴子:「物語 京都の歴史〜花の都の二千年〜」、中公新書、'08を読む。生まれ育った京都への関心は、在住期間では千葉の方が長くなったのにもかかわらず、未だ衰えない。だが書棚には「千葉の歴史」はあるが、「京都の歴史」はなかった。京都の歴史は日本史の一環としていやでも勉強せねばならなかったから、地方史としての視点が育たなかったのだろう。平安京遷都前、東京遷都後にはそんな意味でことに関心が強かった。
幼少の頃のかすかな思い出に巨椋の池がある。土手に沿って奈良電と言っていた現在の近鉄京都線の電車が走っていた。地図にも記憶がある。大きな池で、治水用堤防など無かった古代には、ことに出水時には、京都旧市街地と同等以上の面積を占めていたのではないか。太古の昔京都盆地は似たような姿の湖であった。標高は微妙で、地殻変動と氷河期の水面昇降で、海水の進入も何度かあったが、常に海水が満たされていたのではない。人遺跡が見つかる2万年昔には、湿地帯はあってももはや湖はなかった。縄文人が狩猟漁労に便利な山裾地帯を住処とし、遅れて入ってくる弥生人が、まずは水田耕作に向く巨椋の池附近の湿地帯に拠点を置く。滋賀県立安土城考古博物館に、弥生時代後期の環壕集落を展示していた。佐賀県の吉野ヶ里遺跡にも環壕があった。昔歩いた奈良の山の辺の道には、今はどうなっているか知らないが、現代に伝わった環壕集落が見られた。環壕は富が集積し、戦による権力の集中により歴史が始まった証拠である。集落の政治的立場も規模で判るだろう。残念ながらそこまでは調べがついていないようだ。
京都の前方後円墳が大和朝廷の地方行政単位「県」と関連づけられている。県主クラスの墓だろうと。奇祭の県神社は宇治県の名残とか。近江最大の前方後円墳は安土瓢箪山古墳で4世紀頃の王に模されていた。埼玉の稲荷山古墳(前方後円墳)出土の鉄剣の金文字も大和政権への従属関係を示していた。しもつけ風土記の丘周辺にも何基もの前方後円墳がある。房総風土記の丘でも大きくはないがそうだった。関東では県との関連を聞いたことがない。中央に近いほど歴史が詳細に残るから、存外本書の記述は全国共通だったのかも知れない。太秦の秦氏は高校の日本史にも出てくる渡来人で新羅との関係が深かった。氏寺の広隆寺に弥勒菩薩を拝観に出かけたことがある。コンクリートの霊宝殿に安置されていた。新羅製とか。彫刻としても見事な作品である。
京都盆地は平らだが、南南西方向にわずかに傾いている。今のように市中を流れる川筋が真南になっているのはどうも不自然だ。一番不自然なのは中央の堀川だ。太平洋戦争の頃今はもう撤去されたチンチン電車で堀川の側を走ったことがある。結構水量があった。現在は無惨な枯れ川だ。堀川というから運河だろう、だから水運が衰えたから水を流さないのだろうと思っていた。現在の水源を地図で辿ると、暗渠部が多くて確かでないが、賀茂川に行き着くようだ。上賀茂神社の近くである。本書には堀川が元の賀茂川だとしてある。それでも不自然さは残るので調べたら、湖底であった神泉苑近くを流れる、つまり南南西を向いた古堀川にぶつかった。記録にはないようだが、平安京造営は治水工事あってこその成功だったようだ。だから洪水が付き物で、白河法皇がままならぬものに賀茂川を数えた理由が分かる。右京が早くに寂れたのは、左京ほどには治水をやらなかったためもあるのではないか。西の大川である紙屋川は、人工の南北の流れから、平安期末には元の川筋へ戻ってしまう。
京都にはお寺も多いが、神社も多い。たいていは産土神や地主神を祭る。ズバリその名の地主神社がある。北野神社は祟り神になった道真を祭るが、元は天神や雷公を祀るお宮であった。中学生の頃稀少種シジミチョウのスギタニルリシジミを追っかけた場所が貴船神社であったが、祭神は鞍馬寺の創建を許した地主神だそうだ。7/16 BS朝日の「旅の香り」で貴船の現在を見た。本殿は建て直され、参道の鳥居は赤かった。番組のお目当ては河床料理らしかった。昔からちょっとした料理屋はあったが、今のように川全体に我が物顔に河床を張り巡らすような店ではなかった。京都市街地よりも10℃は低いという。それもこれもお宮の繁栄に手を貸しているのであろう。ローマの神々、ギリシャの神々、さらにはゲルマンの神々はキリスト教の国教化とともに世紀足らずして完全に消滅したし、イスラムの教えも徹底して排他的であった。世界が同じネットワークで繋がった今日では、他文化との共存を否定するものには悲劇的な終末がひかえている。悪く言えば妥協過剰だが、化身とか本地垂迹と言う発想で八百万の神々を吸収していった仏教の姿勢は、これからの世界の唯一無二の政治哲学であると、歴史は語る。
7/16 NHK総合「その時歴史は動いた」では応仁の乱を取り上げていた。京都は最初の1年で焼き尽くされた。本書にも京都の文化遺産は室町期以後のものが大半だとある。近頃TVに旅番組が増えた。NHKの「世界ふれあい街歩き」は、観光スポットだけでなく、街全体を雰囲気とともに伝える好番組だ。石造文化の国では、たとえばカルタゴの徹底破壊のようなケースもあるが、たいていは大げさに言えば有史以前からの遺跡が有機的に組み合わさって今日の街に生長している。我々は平安期の栄光繁栄を断片から想像するしかない。その点ばかりは不燃材料を基本とした文化に羨望の念を禁じ得ない。「旅の香り」では大原も見せた。戦火の及ばなかった平安期の建造物と阿弥陀三尊を残す。
祇園祭が終わった。今年もたいそうな賑わいであった。1100年続く世界的にも珍しい祭りだという。八坂神社の御霊会である。この地・鳥辺野は西の化野、北の蓮台野(紫野)と並ぶ東の京の葬地であった。風葬であったという。化野念仏寺の小石塔群は有名だ。紫野の今宮神社の東門に続く門前町は、TVドラマ「鬼平犯科帳」のエンディング・シーンに終始使われ、すっかり有名になった。江戸時代以来のあぶり餅屋が通りを挟んで向かい合う。その今宮神社の御霊会も官祭となって1000年になる。歴博に行くと、村の境界に魔除けを置く風習が近年まであったことが判る。樋口可南子が主演した「阿弥陀堂だより」にも、あの世とこの世の境界という意識が色濃く出ている。疫病災害に有効な対策を持たなかった人々は、祟り神が町中に入り込まぬように神に祈った。お祭りは神へのお供えである。アニメ「もののけ姫」に巫女・ヒイさまが祟り神となったイノシシにいう台詞「お祀り申し上げるから鎮まりたまえ」は名言である。祇園御霊会信仰の牛頭天王はインドの神様で、疫病神であると同時に疫病から人々を守る神である。「もののけ姫」のシシ神的性格なのが面白い。いつもいつも入り込まれては困るが、お守りいただくために年に1度ぐらいはお迎えせねばならぬ。その場所が御旅所だという。御旅所はやがて町衆の作るネットワークの要となり、その取り仕切り人が街の代表に成長して行く。
少々長くなった。以下は「京都の歴史U」に続ける。

('08/07/29)