日本の新興宗教
- 島田裕巳:「日本の10大新宗教」、幻冬舎新書、'07を読む。同じ著者による「創価学会」の客観的姿勢に好感を持っていた。天理教、大本(教)、生長の家、天照皇大神宮教と璽宇、立正俊成会と霊友会、創価学会、世界救世教・神慈秀明会と真光系教団、PL教団、真如苑、GLAの10グループを取り上げている。私は従来の習わしに従い、著者の「新宗教」ではなく「新興宗教」と書く。著者は「新興」と書くと差別的で否定的なイメージがつきまとうと言う。内容はほとんど変わらないのに別単語を創造することには反対だ。言葉に対するイメージなど時代と共に移り変わる。後世混乱を起こす元となる。京都ではほとんど起こらなかったが、関東に来て、むやみな地名変更に戸惑わされたことがあった。大工町で何が悪い。大手門など無く代官町であったのに、大手町とはなぜだ。学会でも、概念が固まらぬ内から新語を振りかざして教祖に収まりたがるヒトを見かける。島田先生を指しているのではありませんよ。occupation forcesを、占領軍とはせずに進駐軍と書き換えて、実態を誤魔化そうとした姿勢とも相通じる。
- 天理市は宗教都市だ。私は、天理駅から数々の天理教教会施設を見学しつつ石上神社に至り、そこから山の辺の道を桜井へサイクリングしたことがある。子連れのもう30年も昔の話だ。宗教関係者は活発だったし、住民が別世界のヒトかと思うほどに善意に満ちた対応をしてくれた。大本教の綾部市からも宗教都市の印象を受けている。静寂であった。近隣の園部市あたりでは朽ちかけた分教会を見た。今は不活発なのだ。天理教と大本教には類似点がいくつかある。共に関西に本拠があり、神道系だ。明治期には宗教として成立しているから、新興というには抵抗がある。教祖は共に神憑りの成人女性だ。二代目にヒトを得なければ、どちらも拝み屋的な民間土俗信仰で終わっていたかも知れない。二代目は、天理教では吉田神道入門により、大本教では神職と神道役員の経験から組織化体系化のK/Hを会得し、大教派への道を開く。
- 共に官憲から迫害されている。天理教は必死に仏教神道との繋がりを模索し追求の回避に勉めた。だが、大本教の二代目出口王仁三郎と幹部は獄中で敗戦を迎えた。昭和初期にはその機関誌が100万部を超えたという。布教活動は世界に及んだ。迫害の理由は、天理教では呪術禁止、不官許神仏開帳だが、大本教では不敬罪、治安維持法違反であった。大本教には社会変革の意図があったし、王仁三郎のスケールの大きさは破天荒で、貴族、議員、軍人、学者などにまで影響力を持つに至っていたから、国家権力としては許し難い存在であった。ラマ教と法王ダライ・ラマ14世に対する中国政府と似た関係だったとも言える。マスコミが新興宗教叩きに回ったと書かれている。先日NHK SPでプーチン政権下のマスコミを見たが、日本のマスコミもあの程度であったのだろう。現代の天理教信者数はせいぜい50万人、大本教の信者数には触れられていない。王仁三郎は釈放間もなく死亡し、大本教は旧来の活性を取り戻せなかった。この歴史が、新興宗教の中での大本教に対する飛び抜けて高い評価の理由になっているという。
- 生長の家も戦前からの宗教である。最近はほとんど見ないが、教祖谷口雅春の著作の新聞広告を、私の若い時代には、よく目にしたものだ。彼は早稲田大学中退のインテリで、元来は「生命の実相」の哲学研究サロンであった主催会合が、現世利益を標榜する宗教団体に発展した。大本教に入信した時期、一燈園に共鳴した時期もあった。一燈園は京都に本拠がある、無我の奉仕の生活で注目された集団だった。やはり私の若い頃の記憶に残っている。生長の家は一時は国内信者100万を号する大宗教になった。だが、大衆化の段階における、無知につけ込んだとしか考えられない荒唐無稽な御利益話や太平洋戦争の聖戦視、極端な天皇崇拝論は現代では受け入れられるはずが無く、二代目教祖の修正路線にもかかわらず、国内での信仰は衰退した。しかし外国特にブラジルでは戦後の日系人のアイデンティティの基本として受け入れられ信者数250万という。ただキリスト教信仰を拒んでいないので信者というより思想シンパと言うことかも知れない。
- 門前を通り過ぎた程度だが、この年配なので、ほかにも新興宗教の本山とか本部をいろいろ見聞している。野田市の霊波之光本部、知立市の法光会総本山、別府市の大宇真霊教本部。宗教としての実態は一切知らない。本書にも一切触れられていない。小宗派、地域宗派なのであろう。だがいずれも豪壮な和風の建造物であった。組織に強力な集金力があり、熱烈な信者が支持しているのであろう。天理教は「搾取の宗教」と言われた。信者が身ぐるみ一切を献金したからだ。搾取とは多分信者の家族とか親戚友人らによる表現である。新興宗教ではほころびを生じたときに、この手のニュースがしばしば紙上を賑わす。踊る宗教とは天照皇大神宮教のことである。戦犯として拘置された岸さんに対し、将来の総理の座を預言し、見事的中したことで有名だそうだ。金儲けを目指さない「ノン・プロ主義」教団として知識人に好意的に受け止められた。後継の「姫神さま」を擁して今も活動している。双葉山、呉清源を信者にした璽光尊の璽宇という教団もマスコミを賑わした。璽光尊の死で世間からは忘れ去られてしまう。共に、天皇が敗戦により人間宣言をされたため、空席となった現人神の座を埋めるべく現れた教団であるという。
- 現在の立正佼成会は議員を国会に送り込むだけの実力を持つ大宗派である。同じ法華宗の流れにありながら創価学会とは仲が悪い。霊友会という今も活動している先駆団体から70年ほど前に分派した。大勢力となったのは高度成長期で、創価学会と軌を一にする。'55年には信者30万人とある。組織から落ちこぼれた出稼ぎ労働者が地盤になった。霊友会から学んだ方法論を有効に活用したおかげという。創価学会の戦闘的姿勢とは反対に、他宗派に寛容で保守的という。読売新聞の糾弾にたいし、その意味を評価し、読売菩薩の名を贈った。同じ著者による前出「創価学会」に対する書評はすでにこのHPに載せている。そのほかにも断片的ながら創価学会に触れた記事がいくつかある。新興宗教でも古くに成立発展したものは神霊とか祖霊とかの霊のお告げに重きを置く。でも創価学会はそれを問わない。法華宗の一派日蓮正宗の在家サポート集団であったのが宗門僧侶からの破門に会い、池田名誉会長を神格化して精神支柱にしようとしている。支持層は立正佼成会と重なる。公明党とは政教分離を建前にしているが、いざ鎌倉になると、たちまち実質は一体であることを社会に隠さない。私はメジャーな宗教に生るためにはまだまだ脱皮せねばならないと思う。著者の推定する信者数は250万である。
- 世界救世教、神慈秀明会と真光系教団が一纏めにしてある。熱海のMOA美術館が世界救世教の天国のイメージの具現であるとは知らなかった。分派の神慈秀明会は信楽にミホ・ミュージアムを作った。大本の影響が手かざしという浄霊の方法に見られるという。岡田茂吉教祖のお守りは戦中に「鉄砲よけ」「空襲よけ」で評判を取ったとある。
- PL教団は、受難の歴史を歩いたひとのみち教団の戦後の後継団体だ。ひとのみち教団は天照大神を至高の神とし、教育勅語の道徳をうたう体制に従順な教団であったが、100万を超える信者を獲得し、社会的影響力を持つようになって、国家が危険視するようになった。大本事件後2年目に特高警察の手が入り、幹部は投獄され施設は破壊された。PL学園の甲子園での活躍や芸術活動あるいは布教への社交ダンスの取り入れなど、教団は暗い印象を社会に与えていないが、官憲の弾圧に対する記憶は国家権力に対する厳しい目となって教団の姿勢に残っている。
- 6/4の読売に、運慶作と見られる大日如来座像をNYのオークションで落札したのが真如苑で、当分東京国立博物館に寄託されると載っていた。2億円に近かったと記憶する。財力豊かなのだ。国宝級彫像が国外流出すると騒がれた問題の座像であった。私は奈良西の京の旅から戻ったばかりだが、我が国の伝統芸術は信仰と深く結びついていて分けて考えられないと実感している。新興宗教の姿勢にもこの伝統が投影されているのは好ましいことだ。真如苑は沢口靖子、高橋恵子と言った人気女優の入信が伝えられたり、日産自動車跡地を買収したりで話題性に富む。信者数90万で宗教活動は最も活発だという。創価学会の、集団というイメージに対し、真如苑は個の癒しのスピリチュアル・カウンセリングに重点を置く病院的雰囲気だという。現在の社会風潮に適応している。真言宗から発展した。
- 世直しとか終末の脅しが新興宗教のうたい文句である場合も多い。共産主義−共産党はその典型だ。だが、真如苑は世直しなき新宗教となっている。10番目として取り上げられるGLAにも世直し的側面はなく、大規模な精神社会の運動に姿を変えてきたという。2万人ほどの小規模教団で目立った建造物もないが、脱新宗教の方向として著者は注目している。真如苑もGLAも教祖がエンジニア出身である点は興味深い。
- 新興宗教は経済成長期に爆発的に信者数を伸ばすという。現在は各教団とも現勢力の維持に腐心する守りの時代だという。伸長を続ける真如苑は例外だ。経済成長期は社会の矛盾が拡大して吹き出す時期だ。現在の後期高齢者年金不安、若者の所得格差程度の矛盾は、新興宗教への引き金になっていないと言えるのだろうか。
('08/06/04)