ダーウィン展

国立科学博物館のダーウィン展を観た。来年が「種の起源」出版150周年になる。昼食を含めて7時間近く博物館にいた。ダーウィン展には正味3時間ぐらいを費やした。アメリカ自然史博物館の世界巡回展示である。私はダーウィンを詳しく読んだことはない。でもおおよそは知っているつもりであった。博物館のいいところは概念をビジュアルに見せるところだ。今や世界に著名なガラパゴス諸島の動物模型が並ぶ。ゾウガメとイグアナの各1頭は生きている本物だった。上野動物園からの借り物のようであった。音声ガイドのイヤホンサービスがあって500円で借りられる。全部で24件の、借りなければ読まねばならぬパネルを言葉で説明してくれるから、読むのが億劫になりかけている私は助かった。でも詳細説明は読んでくれない。本当はこの細かい文字の詳細説明の方を読み上げて欲しかった。
進化論の発想は5年にわたった海軍測量船ビーグル号による世界一周航海による知見が基本だ。無給の博物学者としてやっとの思いで乗船を許可された。世界に日の没するところがなかった大英帝国の国民であったから出来た業績とも言える。ビーグル号の一番の任務はアメリカ大陸南端のマゼラン海峡の海図作成だったという。船長はそのため船の大改造を行う。羅針盤を狂わすと言うので、鉄製の大砲をも青銅製に取り替えたと書いてあった。全部私費による改造だった。外洋漁船クラスの小さな帆船である。船長とダーウィンはうち解け合うことが出来たようである。知見の中には、有名なガラパゴス諸島での動物の観察のほかにも、世界寄港地全域に亘る幅広い動植物の観察が含まれている。さらに大地の変動を物語る地層学的観察が加わっていた。
発生学的知見、つまり魚も人も発生途上酷似した形態の時期がある事実もその確信理由の一つであった。家系に先祖の形質が伝承されるが、新しい形質も発生すると言う観察も一つの証拠であった。彼は膨大な標本のある部分を専門家の鑑定に送り、その種としての特異性を確定して貰っている。オリジナリティを盗まれる心配があるのに、なかなか出来ない行動だ。彼は部分的な論文を次々に発表した。
ダーウィン以前にも進化論はあった。しかし観念論的であったりサロン談話的であったりで立証不足であり、あまり注目されていなかった。自然適応論という進化論の重要な方法論もかなりなところまで芽生えていた。ダーウィンは少年期から生涯を通して進化論の確立に打ち込んだと言える。構想に確信を持ってからさらに20年(今では、実験の1つ2つが成功すると、幻想かも知れない仮説の下に大胆な権利範囲をねらった特許出願をするのが普通である。その差の大きさにうならされた。)発表をのばしたのは聖書の創世記(種は神が作りたもうた永久不変の姿で、人が猿から来たなどという話は神を冒涜する話だという。仏教にはその発想はないから、我が国では比較的抵抗を受けずに取り入れられた。)と矛盾するための摩擦を配慮したことの他に、さらなる証拠を集めんとしたためのようだった。犬とか鳩の品種改良が、時間尺の長さは違うが自然でも当然進行している。昔自然淘汰と呼んだ進化の基本原理の有力な支持事実を、人為的選択を行うこれらの市井の愛好家から学んだという。マルサスの人口論からも適者生存繁栄の思想を学んでいる。
ウォレスとの進化論発表の先陣争いは面白かった。ダーウィンがウォレスの論文を、彼の要望に沿った形で識者に紹介し、その識者が両者同時発表の形にした。ジェントルマンとして完璧な行動であった。20年ほど昔だったか、京大の先生が、投稿先の、専門を同じくする査読者に論文公表を引き延ばされ、その査読者が引き延ばし期間中に同じ実験をやって先に発表した事件があった。今の学会では恥も外聞もない行為が横行するという。ウォレスはダーウィンと違い、稼いで生活を立てねばならなかった。学会での地歩を早く固めねばならなかった。ダーウィンは在外(マレー諸島)の彼から標本を買ったりしている。ダーウィンは裕福な家庭に育ち、おそらく研究だけに集中できる身分であったのだろう。市中がうるさいと言って郊外に移り住むことが出来るぐらいだから。10人の子宝に恵まれたというから家庭的にも幸せであったのだろう。展示には出てこなかったが、昆虫記のファーブルは反進化論者で、ダーウィンと渡り合っているが、ダーウィンはそれとは別に、ファーブルの生計への貢献にも意を注いでいる。
現在の進化論は、DNA解析とか放射線年代測定法だとかの新兵器が用いられ、より精密に考証が可能になっている。ただ自然淘汰論が自由主義的資本主義者により社会に応用され、強きが弱きを挫く社会の合理的説明に転用された時期があったのは残念だ。メンデルの遺伝学はダーウィンの死後の1900年からだ。病原菌と抗生物質の果てしなき格闘は、もう常識の環境による淘汰だ。最後の部屋のビデオで、皮膚に猛毒のあるイモリが紹介されていた。その猛毒が毒にならない天敵の蛇がいるという紹介があり、イモリは繁栄のためにさらに新しい毒を将来は身につけることになるかも知れないと言う話は面白かった。出口で「種の起源」を売っていないか探したが無かった。「新しい発生生物学」「ふしぎの植物学」の2冊を買った。どちらも新書版である。理系の書物は発行年が非常に大切だ。日進月歩だからである。両書とも'03初版発行で、まあぎりぎりだ。
昼食後は常設展の地球館に行き、生物進化を跡づける化石の豊富な蒐集に感心した。三葉虫の見事な化石があった。植物の化石は他ではあまり見たことがない。一旦上陸を果たした生物がまた水棲動物として戻ってくる。恐竜にもそんなのがいて、ばかでかい骨格を化石として残していた。科学博物館は展示が難しい。観衆が確実に集まる企画は恐竜関係展だけと聞いたことがある。確かに日進月歩で子供向きにどう展示したら関心を呼ぶのか私も分からない。電磁波、万有引力、触媒、液晶、高分子などよく展示されているが子供は集まらない。宇宙も難しそうだった。あるいは生命科学だけの展示に集中した方がいいのではないか。
見つかってもう30年以上になるルーシーとかの愛称の猿人復元骨格が展示されていた。えらく矮小で背丈は私の半分だ。チンパンジーと人類の分岐点に近い位置にいる猿人で、何しろ出土化石が個体標本として驚異的に揃っていたため有名になった。人類で一番興味があるのは旧人と新人の交替である。ネアンデルタール人は遺跡を豊富に残した。骨格優れ旧石器時代に入っていた彼らがなぜ絶滅したのか。吸収されたのではないかというアイディアには、旧人と新人は交雑できたかという基本的な問題がある。いつぞやは新聞に、口腔構造上言語が発達せず、文明的に新人に遅れを取ったためと書いてあった。博物館展示には説明らしい説明は付けてなかった。カラスアゲハ亜種の完全展示は見事だった。私はミヤマカラスアゲハとカラスアゲハぐらいしか知らないが、世界には亜種と思われるのが20何種類もいるという。ダーウィンが見たら驚嘆したであろう。
企画展では東工大に寄贈されたシーラカンスの樹脂加工標本が展示してあったが、常設展にも何匹かを見た。生きた化石という意味が分かるようになっていてよかった。ほかに肺魚とかカブトガニなど。やっぱり国立は違う。あと半時間ほどになってから日本館に行った。日本館では「なでしこたちの挑戦〜日本の女性科学者技術者〜」という題で、女性科学者のパイオニア6人(荻野吟子、吉岡弥生、香川綾、保井コノ、黒田チカ、湯浅年子)の人物紹介をしていた。私は、現役最後の頃の教室学生が6割以上女性であったし、男子学生がもはや需要に応じ切れぬ状態であったから、日本企業の人材の宝庫としての女性の活用論を唱えていた。女子学生は総じてまじめで勤勉であった。女性先覚者たちの苦労の何分の一かは分かる状態にあったから、それが偲ばれた。でもいずれの方も私の記憶にはない。
女性にだけ与えられる科学賞のいくつかが紹介されていた。一番有名なのが猿橋賞だ。次の日の読売新聞の2面に今年の第28回猿橋賞受賞者・野崎京子東大教授の「顔」が紹介されていた。よく見ると京大出身で私と同じ高分子屋である。三月要約に名だたる学術賞が京大関係者に偏っていると指摘したが、彼女の受賞もその範疇にはいる。本当になぜなのか。JR上野駅への戻り道にシャガが咲いていた。

('08/05/02)