人殺し


生き物の世界ではよほどのことがない限り、闘争はあっても、同類を殺すことはない。種の保存本能として子孫に伝わって行くらしい。しかし社会性の強い高等動物ではときたま起こるらしい。テレビの自然紹介番組の中に、水飲み場から離れぬ老象がそこへ来た順位の高い象に突き殺されるシーンがあって驚かされたことがある。人間様はもっとも高等な動物である。殺意が本能を超える場合がまま起こる。だから宗教が禁じ、刑法が裁く。人は誰でも人殺しに異常な関心を抱く。スリ百万回より殺人一件の方が遥かにニュースバリューがある。
「殺す」は甘やかし放題の世代に対する極めつけ用語として利用の価値がある。ちょっとがらが悪いなと思いながらときどき使ってみる。就職試験三回不成功の学生が四回目に行くと云うので、「今度落ちたら殺す。」、下手に面接のK/Hを教えるよりよっぽど効果があると信じている。もう後がないのにまた赤点、そのくせ反抗心丸出しで三人四人と徒党を組んでえらそうな顔で追試験を要求に来る。案の定お情け期待の無価値答案。こちらは遠慮無く全員赤。今度は前よりはしおらしい顔で、また徒党を組んで出頭。みんなで渡れば恐くないなんて誰の戯言か。「テメーら、みんなへそ噛んで死ね。」。
これは私が昔東北の友人から教わった罵倒語である。もういっぺん試験をやったら20人を越した赤が10人弱になった。卒研生は卒研生でへまのオンパレード。一週間に一度ぐらいは殺さねばならぬ。それにしても殺されるのを楽しんでいる雰囲気もある。あの年頃には激しさが要るんだ。いつまで経っても教え方は暗中模索である。

('94/11/20)